伝天海僧正所用甲冑イラスト
天王山の戦いで敗れた明智光秀は、坂本城へ逃れる途中に武者狩りの手によって絶命したとされています。
ところが、逃げ延びて、江戸幕政の基礎づくりに大きく関与した「天海僧正」になったという伝説があります。
大阪城には、その天海が着用したとされる巨大な天衝を装着した甲冑が保管されていますが、この甲冑の兜の前に装着されているのが「麒麟」。
つまり、光秀を主人公とした大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本のネタはこの甲冑で、「麒麟がくる」とは「光秀が天海となってやってくる」との意味だったのです。
だから、最終回、丹波亀山城で「わが敵は本能寺にある」と告げる光秀の背後にあった巨大な三日月は、この甲冑の巨大な天衝のイメージそのもの!
大河ドラマ「麒麟がくる」最終回
さらに、敗死したはずの光秀が馬に乗って去っていくラストシーンは「光秀は死んでいない。光秀は、いずれ天海=麒麟となってやってくる」との暗示だったのです。だから、いまかいまかと待っていた麒麟は、最終回になっても現れず、もやもや~だけが残ったのです。
ところで、天海のものとされる甲冑は多く存在しますが、どれも怪しく、大阪城所蔵の甲冑は、ずっと後年の作であると専門家が指摘されています。
さらに、本能寺の変のときの光秀はドラマのように若くはなかったはずですが、比叡山の松禅寺には、光秀が敗死した34年後の1615年に光秀が寄進したと彫られた石灯篭があり、これが光秀=天海説の根拠のひとつとされていますが、そうであれば、やってきたのは100歳をはるかにこえたヘロヘロの麒麟だったのです!
ところが、ドラマ等で正義の人のようにとりあげられると、光秀は死なずに天海になったとの説はもとより、明治維新のヒーローとして人気のある坂本龍馬は光秀の子孫だとまで言われ始めます。
その龍馬を有名にしたのもNHKの大河ドラマ「竜馬がいく」ですが、原作を執筆された司馬遼太郎氏は「小説の人物は『龍』馬でなく『竜』馬という架空の人物で、内容は創作です。」と言っておられ、実際の龍馬は武器商人グラバーに操られていた武器商人だったとの説もあります。
いろいろな創作が歴史上の真実のようにされ、時代の価値観までもを左右していることが事実ですが、公共放送のNHKの大河ドラマも、史実と空想、真実と虚構がごちゃまぜになった「つくり話」として見なければあかんのですね
イラストは、大阪城に保管されている甲冑をデジタルイラストにしたものです。