大河ドラマ「麒麟がくる」最終回
天王山の戦いで敗れた明智光秀は、坂本城へ逃れる途中に武者狩りの手によって絶命したとされています。
ところが、実は逃げ延びて、江戸幕政の基礎づくりに大きく関与した「天海僧正」になったという伝説があります。
大阪城には、その天海が着用したとされる巨大な天衝を装着した甲冑が保管されていますが、この甲冑の兜の前に装着されているのが「麒麟」。
つまり、光秀を主人公とした大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本は、この甲冑がネタだったようです。
最終回、丹波亀山城で「わが敵は本能寺にある」と告げる光秀の背後にあった大きな三日月も、この甲冑の巨大な天衝をイメージしたもので、敗死したはずの光秀が馬に乗って去っていくラストシーンも、光秀は死なず麒麟=天海となって新しい時代をつくるとの示唆。
だから、いつまで待っても麒麟は来ず、消化不良みたいな後味て終わってしまいましたね(^^)
ところで、天海のものとされる甲冑は多く存在しますが、どれも怪しく、大阪城所蔵の甲冑もずっと後年の作であるとの専門家の指摘もあるのです。
さらに、本能寺の変のときの光秀はすでに60歳近い白髪の老人で、ドラマのように若く凛とした姿ではなかったはずです。
ところが、光秀がやにわ正義の人のようにとりあげられると、光秀は死なずに天海になったとの説はもとより、明治維新のヒーローとして人気のある坂本龍馬は光秀の子孫だったとも言われ始めます。
しかし、龍馬を有名にしたのは小説「竜馬がいく」ですが、執筆された司馬遼太郎氏は「小説の人物は『龍馬』でなく『竜馬』という架空の人物で、内容は創作です。」と言っておられ、実際の龍馬は武器商人グラバーに操られていた武器商人だったとの説もあります。
いろんな創作が歴史上の真実のようにとらえられ、時代を左右していることが事実ですが、公共放送のNHKの大河ドラマも史実と空想、真実と虚構がごちゃまぜの「ドラマ」だとして割り切ることが大切ですね。
イラストは、大阪城に保管されている甲冑をデジタルイラストにしたものです。