亀岡の雲海
亀岡は「丹波」です。
冷え込んだ初冬の朝、この丹波/亀岡は深い霧に包まれます。
早朝、のぼる朝日が、この雲海を「丹」(あか)く染めるとき、そのようすは「丹い波」のようなので「丹波」と呼ばれたとの説があります。
あるいは、太古、亀岡を始めとする盆地地形の丹波地域は大きな湖で、湖面には、波が削った山肌の「丹」(あか)い「波」が漂っていた遠い記憶から「丹波」と名付けられたとの言い伝えがあります。
また、豊かな実りのあるところを示す「田庭」(タニワ)が「タンバ」=「丹波」に変化したとの説や、赤米の稲穂が風になびく様子が「丹」(あか)い波のようだったところから「丹波」と呼ばれたとも言われています。
さらには、大蛇に呑まれた武士が、その腹を裂いたとき、蛇が吐き出した「丹」(あか)い血が湖となったところから丹波と名付けられたとの伝説もあります。
一方、「丹」の文字は「丹精」や「丹念」という言葉に用いられるように「まごころ」との意味がありますが、この地の名に「丹」の字が用いられたのは、ここに暮らす人たちのこころを表していたのではないでしょうか。
でも、急ぎすぎた時代のなかで「まごころ」というこころを置き忘れてきたのは、現在の丹波の人たちも例外ではないような気がします。
言葉さえ忘れてしまったような「まごころ」ですが、この言葉が意味する「気くばり」「目くばり」「心くばり」を思い出し、明日へ届けるのも現在の丹波の人たちの役割なのかもしれません。
ところで、古文書等によると、奈良時代に丹波国が丹波と丹後に分割されるまで丹波国であった日本海近くの丹波国丹波郡丹波郷丹波里丹波村!(現 京丹後市峰山町丹波)がコテコテの「元丹波」だそうです。