光秀まつり

亀岡光秀まつり

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亀岡光秀まつり
亀岡光秀まつり

丹波亀山城

織田信長から丹波侵攻の命を受けた明智光秀は、丹波国の最東に侵攻拠点の城を築きます。

それまでの城の多くは山の上などにある城や砦でしたが、光秀は、攻略後の丹波を永続的に統治することを視野に入れて平城を築き、この地を「亀山」と名付け、城を「丹波亀山城」と呼ばせました。

亀山から亀岡へ

それから4年後、光秀は丹波亀山城から1万3千の兵を従えて本能寺へと出陣し、再びこの城に戻ることはありませんでした。

しかし、その後、この亀山の地は、江戸時代に城下町となり、明治の時代に「亀岡」と名を変えて現在の亀岡市に至ります。

こうしたことから、亀岡市では、明智光秀を「亀岡のまちの礎をつくった先人」として称え、毎年5月に武者行列をメインとする「亀岡光秀まつり」が盛大に行なわれます。

亀岡春まつり

イラストは、旧亀山城下町に現存する町家のある町並みをパレードする亀岡光秀まつりの武者行列のイメージイラストです。

ところで、50回(50年)をこえるこのお祭りも、かつては、謀反人とされた光秀をはばかり「亀岡光秀まつり」ではなく「亀岡春まつり」と呼ばれていたときが長くあったのです。