暦はここから

お稲荷さんと陰陽師

 磐榮稲荷宮

安行山

お稲荷さん

亀岡市役所の南に「安行山」と呼ばれる小高い山があります。

麓から続く赤い鳥居をたどって、この山の頂きに至ると、そこには「磐榮稲荷宮」と名付けられたお稲荷さんがあります。

お稲荷さんといえば、商売繁盛や家内安全で知られる神さまですが、本来は「稲」が「荷」のように穫れることを願う農業の神さまで、お稲荷さんの総本社の伏見稲荷の社紋は「抱き稲」、門前の狐がくわえているのは「稲の束」です。

 伏見稲荷の社紋と門前の狐

伏見稲荷大社

安倍清明安行

ところで、この安行山の頂きには、お稲荷さんといっしょに「清明神社」が置かれているのですが、その説明板には「当神社にお祀りしている安倍晴明安行は、天文術を大成し、この地で天体観測を行なって、日常生活の規範となる暦をつくられました。」と書かれています。

 晴明神社

晴明神社

天文学者

つまり、この清明神社にお祀りされているのは、平安時代の陰陽師で知られる「安倍晴明」の7代後の子孫とされる「安倍清明安行」(ややこしい)で、清明が、吉凶を占う陰陽師であるとともに、天文学者であったのと同様、安行も天文学者で、この場所で、四季に応じて変化する星座を観測し、暦(カレンダー)をつくったとされているのです。

農作暦

そして、この山の尾根から北を望めば、北極星を真正面に望む大きな空がひろがり、安行が、この場所から、毎夜、夜空の星座を観測し、正確な暦をつくったことが理解でき、さらに、その下に広がる広大な農地を目にすれば、安行とお稲荷さんが同じところにある意味に気づかされます。

そう、安行のつくった暦は、日常生活の規範であると同時に、目の前にひろがる農地での豊かな実りを約束する農作暦でもあったのです。

 安行山から北の眺望

安行山

豊かな実り

暦などが無かった時代、人々は、朝日がのぼる時刻の早まりを感じて稲の種を蒔く準備を行うなど、勘や推測で農作業を行っていたために収量も不安定でしたが、安行がつくってくれた農作暦は、1年を通じた計画的な農作業の指標となり、豊かな実りをもたらしてくれたのです。

お稲荷さんの化身

よって、人々は、農作暦をつくってくれた安行を、豊穣の神さまのお稲荷さんの化身のように感じ、お稲荷さんといっしょに安行をお祀りしたのでしょう。

あるいは、安行を豊穣の神さまとしてお祀りされた清明神社が先にあり、後からお稲荷さんがお祀りされたのかもしれません。

暮らしのそばで

いずれにせよ、天皇や貴族に仕えた安倍晴明は、民衆とはかけ離れた雲の上のような存在でしたが、安倍晴明安行は、まちなかに民衆のために小さな承文字八幡宮を祀るなど、人々の暮らしのなかで活動しました。

よって、人々が、感謝のこころで清明神社をお祀りしたことはもとより、この山は、親しみを持って「安行山」と呼ばれ、安行の亡骸は、安行山のふもとの「加塚」と呼ばれる塚に葬られたと伝えられています。

さらに、安行山ふもとの現在の「安町」の町名は、「安行」の「安」を引用したと言われており、町内には「あんぎょうガレージ」と名付けられた駐車場もあります

なお、安行が人々の身近な信仰のために置いた承文字八幡宮は、現在、市民の暮らしのいちばん近い行政を行う亀岡市役所の敷地の一角にあって、いまなお、人々の暮らしを見守っています。

 承文字八幡宮(左)と亀岡市役所(右)

安行山