本能寺をめざして明智光秀の軍勢が発った丹波亀山城は、その約30年後、江戸幕府の天下普請の命で五層の天守を有する近代的な城となりました。
しかし、明治の廃城令によって天守は壊され、石垣も鉄道建設に使われるなど荒廃するに任されていましたが、出口王仁三郎大本教祖と多くの信者が残っていた石を使って整備され、いまは大本教の聖地となっています。
イラストは、在りし日の丹波亀山城のイメージイラストです。