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室町時代後期のころからの敵味方が入り混じった大名家同士の激しい近接戦において、敵味方を見分けるのは家紋が描かれた背の「旗指物」でした。
一方、武士の武功を認知させるのは、その武士を示す兜の「立物」でした。
なお、旗指物は「白地に黒の紋」が一般的でしたが、「青字に白の桔梗紋」をあしらったカラフルな旗指物を採用したのは明智光秀率いる明智軍の旗印だったと言われています。
平安時代後期~鎌倉時代に、縁起物として兜に装着されていた立物の鍬形は、室町時代前期には小型化して中期には三本鍬形が流行しました。
室町時代後期~戦国時代には、武士の象徴として、また信仰や願いを込めた多様な立物が創作され、兜の前・横・後に装着される立物の各々を「前立」「脇立」「後立」と言いました
▼平安時代後期~鎌倉時代 鍬形
▼室町時代前期 鍬形
▼室町時代中期 三本鍬形
▼室町時代後期~戦国時代
前立ー脇立ー後立
一方、大名家等では「御貸具足」と呼ばれる陣笠と前胴のみの簡易甲冑を保管し、戦さのときには足軽等にこれを貸し与えていましたが、この胴に描かれた家紋が旗指物の代わりとなりました。
武士は「旗指物」で家を表わし、「立物」で武将を示します。よって、胴に家紋を描いたり、立物に家紋をあしらうことは通常はありません。
でも、現代の武者行列や創作甲冑で、大きな家紋を描いた胴や、家紋をデザインした立物などの「???甲冑」をよく見かけますが、これはご愛嬌。