▼頭形兜
戦国時代の甲冑に求められたのは高い武具機能と生産性でした。
そこで、兜は、製作工数の多い筋兜から、数枚の鉄板を打ち出した頭形兜(ずなりかぶと)や桃形兜(ももなりかぶと)が普及しました。
胴も、前後別に樽形に成形された鉄板を漆や鋲などでつないだ生産性の高い「桶側胴」(おけがわどう)が多く使用されました。
一方、兜のしころや草摺等も装飾性が排除され、簡素な「板札」(いたざね)と最小限の威糸の「素掛威」を組み合わせた製作工数の少ない方法が普及しました。
また、兜の吹き返しは極小化または廃止され、袖も「小鰭」(こびれ)と呼ばれる小さな板への置き換え、あるいは袖そのものが撤廃されました。
さらに、胸板の絵革や菱縫などの装飾的な意匠のほとんどが撤廃されました。
一方、兜のしころの多くは朝顔状で首まわりを覆う形状の「日根野式」が普及し、段数も増して防御性が充実されました。
さらに、接戦から顔面を守る面具が加えられるなど、武具機能が充実したこれら甲冑は「当世」における備えのすべてを「具え足り」た「当世具足」と呼ばれました。
「戦う道具」として洗練された当世具足の緊張感のある美しさは、華麗で重厚な大鎧と対局に位置するもうひとつの「日本の美」と言えます。
イラストは、徳川家光所用の当世具足です。