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デジタル図鑑

デジタル甲冑図鑑

参戦記 

参戦記




デジタル甲冑図鑑

2011. 6. 1  

■ 各時代の甲冑のデジタルイラストにコメントを加えたデジタル甲冑図鑑です。
イラストはイメージです。また説明は専門的な考証に基づいたものではありません。

 
  大鎧 ・ 胴丸
 
 

甲冑のイラスト

    甲冑のイラスト

「甲冑」は甲(かぶと・兜)と冑(よろい・鎧)を表す言葉ですが、日本特有の華麗な甲冑の原型は、平安時代に作られた「大鎧」です。

「大鎧」の特徴は突起のある「星兜」、絵韋(えがわ)と呼ばれる絵柄のある皮が胴の前面などに張られていること、そして膝を守る「草摺」が4枚であることなどです。

大鎧の基本的な構造は「小札」(こざね)と呼ばれる小さな板を「威糸」(おどしいと)と呼ばれる平紐でつないだもので、小札の数は3000枚から5000枚に及びますが、防御性とともに柔軟で体にフィットする特性がありました。

大鎧を着用したのは馬上で弓を射る武将でしたが、弓が威紐にひっかかるため、胴の前面を始め、兜の前面の両側についている「吹返し」や胸周りを守る鳩尾の板(きゅうびのいた)などに小札を威した上に絵韋を張っていました。

一方、雑兵が着用した鎧も小札を威した構造でしたが、歩きやすいように草摺は7枚や8枚に分割され、絵韋は張られていませんでした。こうした鎧は「胴丸」と呼ばれ、これら甲冑を着用した武士は、兜ではなく烏帽子が一般的でした

       
  胴丸
 
 
甲冑のイラスト  

室町時代に入り、騎馬戦から山城の攻防などの近接戦へと変化するなかで、武将が着用する甲冑も軽量で動きやすいものが求められ、雑兵が着用しえいた胴丸がアレンジされ、武将にが使用するようになりました。

兜は軽量な筋兜となり、吹き返しは小さく、しころは絞った形状となり、大袖が取り付けられました。

さらに、喉を守る「喉輪」(のどわ)が加えられ、足を守る臑当(すねあて)には膝を守る立挙(たてあげ)が加えられるなど、近接戦への備えが加えられていきました、

こうした鎧は胴丸鎧と呼ばれています。

  胴丸鎧
 
 
甲冑のイラスト  

室町時代の末期、大名同士の熾烈な戦いが本格化するなかで、甲冑はさらに戦いへの備えを増していきます。

喉輪に代わって顔面と喉を守る面頬(めんぽお)や膝を守る佩楯(はいだて)が加わりました。

また、腕を守る脛当(すねあて)や足を守る脛当(すねあて)は、それまでの板状のものから篠と呼ばれる細長い形状となり軽量化が図られました。

一方、このころから草摺は8枚から7枚に変化し、鍬形が一般的であった兜の立物(たてもの)は多様化し、武将のシンボルとなっていきます。

甲冑のイラスト

 

甲冑のイラスト  

この原型は、後世にも継承されますが、日本甲冑の美しさはこの時期の甲冑に代表されるのではないかと思っています。

左のイラストは、この時期の甲冑を基本としながら、威糸の色や立物を変えたバリエーションです。

威糸の色や立物がちがうだけでまったくちがう甲冑のように見えます。

こうしたイラストがあれば、手づくり甲冑の威糸や立物のデザインを考えるときに役立ちますね。

甲冑のイラスト

 

甲冑のイラスト  

威糸の色は、赤は太陽と生命力を表し、多くの武将に好まれたと言います。また萌黄色はいうまでもなく新緑の萌え出ずる色であるなど、威糸の色には各々意味があったそうです。

なお、兜のしころや大袖、また草摺の下端に赤または朱色で縫われた菱縫は魔よけの意味があり、すきまから魔が侵入することを防ぐ意味があったそうです。

甲冑のイラスト

 

甲冑のイラスト  

兜につける立物は平安時代から室町時代後期のころまでは、鍬形を前につけるのが基本でしたが、その後は付ける場所や形も変化してきました。

兜の
前につけるものを「前立」横につけるものを「脇立」後につけるものを「後立」と呼びました。

また立物自体も月への信仰からの半月や神鏡を表現する丸い鏡など、多種多様なものが考えられていきました。

           
  当世具
 
 
甲冑のイラスト  

戦国時代に入って戦闘が拡大すると甲冑に量産性が求められ、鉄砲が使用されるようになると、さらなる防御性が求められることとなります。

短時間での製作と強度確保のために動きやすさは犠牲にされ、胴は鉄板をつなぎ合わせて鋲や皮で止めた桶側胴などが主流となります。

小札で前面を威していた毛引威は必要な箇所だけの素掛威とされ、製作時間は大幅に短縮されました。

兜は鉄板をつなぎ合わせた筋兜などから、武器をそらす目的と製作の容易さから鉄板を打ち出した桃形兜(ももなりかぶと)なども現われました。

イラストは、その桃形兜です。

こうした甲冑は、すべての装備を具し備えているところから「当世具足」と呼ばれました。

     
  明智光春所用 南蛮胴具足
 
 
甲冑のイラスト  

鉄砲の伝来とともに伝わった西洋甲冑の影響を受け、当世具足にも対鉄砲を強く意識した甲冑が現われます。

この甲冑は明智光秀の娘婿である明智光春の所用具足と伝えられる南蛮胴具足です。

兜と胴は鉄板から打ち出された二枚胴で、兜の前面は二重構造、長い前面草摺や屏風のように大きな佩楯が目を引きますが、後草摺は短く、大袖は小さな小鰭(こびれ)に置き換えられているなど、前面の防御に特化した甲冑です。

明智光春はこの甲冑をまとい、明智桔梗紋の軍旗を背に、先陣を切って敵の鉄砲隊へと突き進んでいったのでしょうか…。

     
  仙台具足
 
 
甲冑のイラスト  

こちらは戦国時代の東北の雄 伊達政宗の甲冑です。

兜は32間の凝った筋兜ながら、胴は鉄の打ち出しの無骨な5枚銅で威糸は最小限に止め、大袖などの付属物は一切省略されています。

機能に特化した質実剛健の「黒」い甲冑ですが、だからこそ、長大な半月の前立と黄色い威糸が印象的です。

この甲冑は「仙台具足」と呼ばれています。

     
  彦根具
 
 
甲冑のイラスト  

戦国時代の東の有名な甲冑が伊達政宗所要の仙台具足であるとすれば、西はやはり「ひこにゃん」のモデルとなった「井伊の赤備え」でしょう。

「ひこにゃん」のシンボルといえば巨大な前立てですが、彦根藩の初代藩主 井伊直政が関が原の合戦で使用したのは左のイラストの甲冑だと伝えられています。

井伊直政も常に自ら先陣を切って戦ったと伝えられており、甲冑も機能優先となっています。

兜は頭成兜と呼ばれる表面が平滑な兜で、胴は前後をあわせる簡単なつくりの仏胴、草摺の威紐もほんのわずかです。

戦国の甲冑には、華麗さも見た目の威厳もありません。そこにあるのは機能に特化した美しさです。

     
         甲冑のイラスト  

左のイラストは井伊直政の召替具足と伝えられる甲冑です。

召替具足とは予備の甲冑ですが、実戦用の予備というより、藩主の権威の象徴としての甲冑であったのでしょう。

「井伊の赤備え」の象徴ともいえる巨大な天衝の脇立がシンボルですが、この金色の天衝と赤い甲冑は以後12代続く井伊藩藩主の甲冑の原型となっていきます。

     
         甲冑のイラスト  

井伊藩では藩主毎の甲冑を製作してきましたが、江戸後期の10代藩主の井伊直幸の甲冑がこの甲冑です。

江戸時代も後期になると戦乱の兆しも無くなり、甲冑も実用性を離れて華麗な装飾が増し、権威の象徴となっていきます。

藩主毎に甲冑を製作したのは他藩も同様でしたが、初代藩主の甲冑の基本をある程度踏襲しているのは「井伊の赤備え」です。

これら井伊藩の甲冑は「彦根具足」と呼ばれています。

 
  復古調
 
 
甲冑のイラスト  

江戸時代に作られた甲冑の多くは、実用本位の戦国甲冑と正反対に、大鎧など古来の甲冑の技法が復活するようになります。

こうした甲冑は「復古調」と呼ばれ、従来の甲冑のあらゆる要素を取り入れながら、やがては大名家所蔵の豪華な美術工芸品へと変化します。

左は復古調の典型の甲冑をイメージしたイラストですが、こうした甲冑がスケールダウンして、今日の五月人形へとつながっていきます。

     

 

  ■ 甲冑は死に衣装
 
 
 

倒せし敵の骸(むくろ)は 明日のわが姿・・・身をつつむ甲冑は死に衣装。

甲冑の一側面です。

  ■ 赤備え
 
 
 

戦国時代において勇猛な戦いぶりを誇示するために赤く塗られた甲冑も、幕末の近代戦では、鉄砲の格好の標的となったと伝えられています。

 

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